長谷見昌弘監督と星野一義監督

日産自動車の創立80周年を記念したパレード「ヘリテージ・カー・パレード in Yokohama」が2013年12月23日に日産グローバル本社ギャラリーで開催された。

当日は日産グローバル本社ギャラリー内のステージでも80周年セレモニーとステージイベントが行われた。
志賀俊之・代表取締役副会長によるセレモニー開会の挨拶の後、長年日産のドライバーとして数々のレースで活躍し、現在スーパーGTで監督を務めている長谷見昌弘氏と星野一義氏による「レジェンドドライバートークショー」が行われた。

トークショーの内容を要約し、5回に分けてお伝えする。
1回目は2人が日産と契約したきっかけについて。

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野球で言えばジャイアンツ

-日産との付き合いはどれ位?

長谷見昌弘氏(以下長谷見) 15歳からバイクをやっていて、19歳の時に日産と契約したんです。
今68歳なんですけど、50年お世話になってます。

星野一義氏(以下星野) 長谷見さんより全然若いから日産に入って43年。
(長谷見)先輩と同じくバイクでチャンピオンになって、日産から電話を頂いて入ったんです。

-日産と契約したきっかけは?

長谷見 4輪レースの第1回日本グランプリが終わって、第2回日本グランプリに向けて日産やトヨタはドライバーを集めると。
当時日本では自動車レースなんてなくて、誰も4輪車のテクニックを知らなかった時代ですから。

だから日産が鈴鹿でオーディションをやるというので参加したんです。

2輪のレースは世界的に(ホンダが)マン島TTレースで世界の頂点にいましたから、国内レースもすごかったんです。
4輪の場合はジムカーナや、ヒルクライムと言って箱根のターンパイクを借り切って登っちゃう、そういう競技しかなかったんです。

2輪の連中はサーキットを知り尽くしているから速いんですよ。

-日産から誘いが来た時の気持ちは?

長谷見 将来4輪の方が盛んになると思ったんですよ。
どうしてかと言うと、第1回日本グランプリはテレビで放映したんですよ。
で、賞金も出たんですね(笑)。
こっちの方がいいなと。

星野 2輪の契約金でスカイラインの54Bとフェアレディを買って、日産に全部納めてたんです(笑)。
だからそれを回収しなくちゃいけないわけ。

それはジョークだけど、長谷見さんを追いかけ、北野(元)さん高橋(国光)さんを追いかけてきたんですけど、2輪のチャンピオンということで電話を頂いて(日産に)入ったんです。

当時はカタログなんか見る時代じゃなくてね、日産以外クルマはないと。
例えばブルーバード510だって、(トヨタ)コロナより(サスペンションが)4輪独立懸架で良いわけでしょう?
フェアレディもあるし、スカイラインも(トヨタ)マークⅡより全然良いから。

(観客に向かって)皆さんホントですよ。日産以外からクルマ選んだら失敗するよ。

-当時すでに4輪でレースをしている会社はいくつかあったが?

星野 日産はレベルが違うんです。R380、R381、R382と。

それで当時2輪でチャンピオンになって声を掛けていただいて、張り切って来たら2軍だったんですよ。
長谷見さんは1軍だったんです。

だからずっと長谷見さんを追いかけてきたんです。
まだ今でも追いついていないんですけど。

長谷見 当時、ワークスドライバーになるのがみんな夢だったんです。
今はちょっと違いますけどね。

-長谷見さんの時代も、日産自動車と契約するのは憧れだった?

長谷見 日本のレース好きにとっては夢のまた夢でしたね。
日産以外はあまり良いレーシングカー作ってなかったですから。

星野 野球で言えばジャイアンツレベル。
サーキットで胸張って歩いてた。今もですけど。

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