「フェアレディ」という車名を冠した最初のモデルであるダットサン・フェアレディ1200(SPL213型)が、日産銀座ギャラリーで2013年8月6日から8月31日まで展示されている。
※2013年8月31日追記:展示期間が9月4日までに延長された。
217人の美人 ダットサン・フェアレディ(SPL213)
わずか217台、国内販売は無し
ダットサン・フェアレディ1200の前身となったダットサン・スポーツ1000(S211型)が発売されたのは1959年(昭和34年)6月。
ダットサン211型のフレームに当時最新の素材であったFRP(繊維強化プラスチック)製ボディを架装した4シーターオープンとなっていた。
国内販売も計画されたため右ハンドルのみが生産されたが、そのほとんどは北米でのテスト販売に充てられ、生産台数はわずか20台にとどまった。
そして1960年(昭和35年)1月に発表されたのが、「フェアレディ」という車名を冠した最初のモデルであるダットサン・フェアレディ1200(SPL212型)である。
一般的なスチール製に変更されたボディに搭載されるエンジンは総排気量1,198ccのE型で、最高出力48馬力、最大トルク8.4kgmを発生。
フロントサスペンションにはダットサン223型トラック譲りのトーションバー式独立懸架を採用した。
1960年(昭和35年)10月にエンジンに改良を受けたSPL213型となる。
改良されたE1型エンジンは圧縮比の変更(7.5→8.2)やツインキャブ化が行われ、最高出力60馬力、最大トルク9.3㎏mを発生。
1962年(昭和37年)の生産終了までに平塚市の日産車体でSPL212が288台、SPL213が217台生産された。
SPL212型とSPL213型は北米専用モデルだったため左ハンドルのみが生産され、型式の「S」がスポーツ、「P」がパワーアップ版、「L」が左ハンドルを表し、3桁の数字の百の位の「2」はダットサン210型の派生車種を意味していた。
フェアレディはその後1962年(昭和37年)10月に2代目にモデルチェンジし、1969年(昭和44年)に後継車種となる初代フェアレディZが登場した後もしばらく併売が行われ、1970年(昭和45年)に生産を終了した。
「フェアレディ」車名の由来
「フェアレディ」の車名の由来となったミュージカル「マイ・フェアレディ」はジョージ・バーナード・ショーの「ピグマリオン」を原作にした作品で、1956年(昭和31年)3月から6年6か月のロングラン公演を行ったヒット作。
言語学者のヒギンズが下町の花売り娘であるイライザをレディに育てるというもので、当時の日産自動車社長・川又克二氏(1905-1986)がブロードウェイでのミュージカルを観て感銘を受けたことから「フェアレディ」の車名が誕生した。
ダットサン・フェアレディ(1961年・SPL213型)主要諸元
記念庫No.274
全長:4,025㎜
全幅:1,475㎜
全高:1,365㎜
ホイールベース:2,200㎜
トレッド(前/後):1,184㎜/1,170㎜
車両重量:890㎏
サスペンション(前/後):トーションバー式独立懸架/平行リーフ・リジッド
ブレーキ(前/後):ドラム/ドラム
タイア:5.20-14-4PR
エンジン主要諸元
エンジン型式:E1型(直列4気筒・OHV)
総排気量:1,189㏄
最高出力:44kW(60ps)/5,000rpm
最大トルク:91N・m(9.3kgm)/3,600rpm