日産銀座ギャラリーでは、2013年5月21日から6月5日まで「Be-1」を展示しています。
1985年東京モーターショーにコンセプトカーとして出品され、大きな反響を受けて1987年に1万台限定で市販されたBe-1。
そこにはこんな裏話が…
Be-1誕生の秘密
2代目マーチは開発延期に
1982年に初代マーチが発売されたのと同時期に、ホンダからも同じクラスのコンパクトカー、初代「シティ」が発売されました。
シティは当時のクルマとしては珍しく車高の高さを売りにした「トールボーイ」というコンセプトで大ヒットしており、日産はシティに対抗できるクルマとして2代目マーチの開発を計画。
初代マーチは5年間のモデルライフが予定されていたので、1987年に2代目マーチを発売するはずでした。
しかし日産自動車は深刻な販売不振に陥ってしまい、初代マーチのモデルライフを10年に延長することを決定したため、2代目マーチの開発は延期となってしまいました。
Be-1は実験的なプロジェクトだった
そこで当時日産自動車のデザイン主管だった清水潤氏は、2代目マーチのモデルチェンジとは別に、初代マーチをベースにしてどこまで個性的なクルマを作れるかという実験的なプロジェクトを1984年に立ち上げました。
停滞した日産社内の雰囲気を活性化するために社外とのコラボレーションを行うこととなり、ファッションデザインを手がけていたウォータースタジオ(当時。現ウォーターデザイン)の坂井直樹氏にコンセプト作りを依頼。
それを基に日産社内デザイナー(当時。現プロダクトデザイナー)の古場田良郎氏がデザインを担当しました。
デザインを検討する際は、従来路線でデザインしたA案、坂井氏のコンセプトを基に古場田氏がデザインしたB-1案とB-2案、イタリアのデザイナー、パオロ・マルティン氏に発注したC案の4種類のデザインが提案されました。
この時坂井氏の提案したコンセプトはB-1案が「ノスタルジック・モダン」、B-2案は「シティ・モダン」というコンセプトで、当時のクルマは四角いデザインばかりだったので、その流れを断ち切りたいという意図で考え出された案です。
日産社員へのアンケートや役員へのプレゼンの結果、もっとも評価の高かったB-1案が採用され、車名を決める際にはB-1案のデザインだったことから、「Be-1」という車名になったそうです。
「技術の日産」と言われていた当時、最新のメカニズムを搭載していないBe-1の商品化に反対する意見もあったそうですが、清水氏は反対意見には耳を貸さず、好意的な意見に応えるべく商品化に向けて動いた結果、マーケットの声を聞かなくてはということになり、初代マーチの外板を外して樹脂パネルをかぶせたプロトタイプを製作。
1985年10月の東京モーターショーに出品したのです。