「日産・プリンス合併50周年特別展示」が、日産グローバル本社ギャラリーで2016年8月2日から2017年1月31日まで開催されている。
イタリアのカーデザイナー・ミケロッティがデザインした「プリンス スカイライン スポーツ クーペ」のプロトタイプが2016年9月12日から9月30日まで、日産グローバル本社ギャラリーで展示された。
輸入自由化とイタリアンデザインの導入
高度経済成長期、急成長を遂げる日本の自動車業界だったが、輸入車に高い関税がかけられていたため、グローバル競争からは保護された状態にとどまっていた。
日本政府は先進諸国からの外圧によって徐々に関税を下げ、1961年に乗用車輸入完全自由化の猶予期限を1965年(昭和40年)10月と決定。
価格や商品に競争力のない日本メーカーは、輸入車との競争によって消滅の危機にさらされるようになった。
この流れを受け、1960年代前半の日本メーカーには海外の魅力的なデザインを学ぼうとする動きが起こる。
そして、それを最も早く行動に移したのがプリンスだった。
1959年(昭和34年)、以前からイタリアの美しいスポーツカー作りの夢を持っていた中川良一常務・技術本部長は、当時トリノ留学中の井上猛デザイン課長を通じて著名なカーデザイナーのジョバンニ・ミケロッティ氏とコンタクトし、翌1960年(昭和35年)には「グロリア」のシャシーをベースとした試作スポーツカー2台の制作契約の調印に至った。
この2台は10月に完成し、直後の11月にトリノ自動車ショーに日本メーカーから初出品され、美しいスタイリングや高品質な仕上がりが話題となった。
これが日本初のイタリアンデザイン車「プリンス・スカイライン・スポーツ」で、1962年(昭和37年)から高級スポーツカーとして発売され、およそ60台が販売されたと言われている。
プリンス スカイライン スポーツ クーペ(1960年・BLRA-3型)
展示車はイタリアの工房・アレマーノで制作され、トリノ自動車ショーに出品されたプロトタイプそのもの。
当時はフェンダーミラー無しの状態だったが、現在はフェンダーミラーを装着した状態で保存されている。
生産車とは異なり、ルームミラーには1960年のローマオリンピックを記念した五輪マークが刻印されている。
エンブレムも、プロトタイプと生産車では異なっている。
フロントグリルのエンブレムは生産車ではプリンスの「P」になっている部分が、プロトタイプでは「T」となっている。
フロントフェンダーに付いているエンブレムも、このプロトタイプではアレマーノの「A」だが、生産車ではプリンスの「P」に変更されている。
トリノ自動車ショーにはこの青のクーペの他に、白のコンバーチブルのプロトタイプも展示された。
日産グローバル本社ギャラリーで開催されている今回の特別展示で56年ぶりに2台並んで展示された。
スカイライン スポーツ クーペの生産車の記事はこちら。
ヘリテージコレクションNo.028
全長:4,650㎜
全幅:1,695㎜
全高:1,385㎜
ホイールベース:2,535㎜
トレッド(前/後):1,338㎜/1,374㎜
車両重量:1,350㎏
サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン/ド・ディオンアクスル
ブレーキ(前後共):ドラム
タイア(前後共):5.90-15-4PR
エンジン主要諸元
エンジン型式:GB4(直列4気筒・OHV)
総排気量:1,862㏄
最高出力:69kW(94ps)/4,800rpm
最大トルク:153N・m(15.6kgm)/3,600rpm