日産の小型車「サニー」の誕生50周年の展示イベント「サニー50周年展」が、2016年4月2日から5月31日まで日産グローバル本社ギャラリーで開催されている。
今回は会場に展示されたパネルを紹介する。
サニー50周年展
1966年、車名を公募して華々しくデビューしたサニー。
サニーの登場で日本のマイカーブームが本格化し、日本のモータリゼーションの発展に貢献した。
誕生の経緯
1962年、ブルーバード310型の下のクラスを受け持つ新型大衆車の開発がスタート。
当時のサラリーマンの平均年収である40万円で買える価格にすべく、軽量化で原価低減を目指した。
当初エンジンは800㏄を検討していたが、世界の同クラス車を研究した結果1,000㏄に変更。
これらは結果として、軽量ボディにハイパワーエンジンという俊敏な乗り味を実現することになる。
未曾有の期待感
車名公募キャンペーンを実施したところ、1965年12月から1966年1月の締め切りまでに848万3105通の応募があった。
これは当時の日本の総人口9800万人の8.6%にあたり、寄せられた車名のバリエーションはおよそ38万通りあった。
なお、車名発表時には、「サニー」とソニー株式会社の「ソニー」の発音が似ていることから、車名決定前にソニー株式会社と事前協議を行い、了解を得ているという発表もあった。
発売
価格はスタンダード41万円、デラックス46万円。
発売の翌年である1967年(昭和42年)には早くもブルーバードを抜いて日産最量販車種となり、その後もトヨタ「カローラ」との競争を通じて日本の小型大衆車市場をけん引した。
モータースポーツ
初代サニー(B10型)は、マレーシアグランプリや東アフリカ・サファリラリーに参戦するほどの実力があった。
2代目・B110型は1970年から1982年までマイナーツーリングカーレースで活躍した。
サニーの果たした役割
サニーの累計グローバル生産台数は1,700万台以上、日本では約640万台を販売。
2004年にサニーの名前が途絶えてからは「ティーダ」、現在は「ノート」が市場を受け継いでいる。
一方、歴代サニーの上級移行によって、その下のクラスの空白を埋めるモデルとしては「チェリー」や「マーチ」といったベーシックカーがある。