すべての人に自動車を。ダットサンの歴史

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日産が新興国向けに復活させた「ダットサン」ブランドは2014年後半からインドネシア、インド、ロシア、南アフリカで発売が予定されている。

ダットサンとはどのようにして生まれたのだろうか。

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ダットサンの歴史

ダットサン12型フェートン
(写真はダットサン12型フェートン

ダットサンは、1914年(大正3年)にダット自動車が生産した「脱兎号」に由来している。

「脱兎(ダット)」はウサギのように速いという意味と同時に、ダット自動車の出資者だった田(でん)、青山、竹内の頭文字を取ってつけられた。

また、耐久性がある(Durable)、魅力的(Attractive)、信頼できる(Trustworthy)の頭文字をとってDATとしたと宣伝されていた。

1933年(昭和8年)、日産自動車の創立者である鮎川義介は、「すべての人に自動車を」というビジョンのもと、ダット自動車からダットサンの事業を引き継ぐ。

日本の若者の向上心を満たす、軽量で耐久性のあるクルマは「ダットの息子」という意味でDatson(ダットソン)と名付けられたが、sonが「損」を連想させることから後に太陽を意味するsunに改められDatsun(ダットサン)となった。

「すべての人に自動車を」という鮎川のビジョンは、大量生産によって現実のものとなった。

その後ブルーバードやダットサントラックなど、190か国で2000万台以上のダットサンが販売された。

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